たりない大学生

なにもかもがたりてない。そんな大学生です。

ラジオで夢の話ってタブーらしい

 最近ブレーキが壊れた自動車を運転する夢を見る。それが怖くてしょうがない。

 丑三つ時の民家に閉じこまれた自分は、友人と脱出するために車のカギを探し出す。やっと探し出して車に乗り込んでエンジンをつけると無事車は動き出す。その瞬間にあることに気が付いた。

車の上に赤い服を着た背の高い女性が張り付いていた。その女性の顔色は真っ白で、白目がなく鬼の形相をしている。

 自分は思いっきりブレーキをかけて、慣性力を使うことで女性を前に吹っ飛ばしてやろうと思った。しかしいくらブレーキペダルを踏んでもブレーキがかかる様子はない。下り坂に突入していた車は赤い女性をフロントガラスに乗せながらそのまま下って闇に消えていった。

という夢を見たのさ……!(ツカイカタチガウケドナー)

今文章化してみて、夢というものはやはり自己の記憶にあるものしか作りえないのだと気づいた。車で脱出するのは『13日の金曜日』。赤い服を着た背の高い女性はホラーゲーム『らせんの宿』に登場する赤おばさん。それが上に張り付いているのは『ジョジョの奇妙な冒険』第五部に出てくるギアッチョと全く同じだ。しかしそれらがなぜ想起されたのかは全く持ってわからない。そこでネットでよく見る夢占いでこの夢を分析してみた。

坂道でブレーキが利かないのは前途多難であることを示唆し、赤い服の女性に追い掛け回されるのは、近い将来情熱的な女性が現れ、その人が敵になるらしい。また、暗闇の中を車で進む夢は将来に不安を持っている証拠だという。

つまりこの夢の通りに行くと、私は自分の将来に漠然と不安を持っているが、その将来は案の定前途多難であり、ヤバい女性から現実でも追い掛け回されることになる。自分の将来に不安を持っているのは間違いではないが、自分の夢に前途多難だと言われる筋合いはないと思ってしまった。

 オードリー若林さんが前テレビ番組で「ラジオで夢の話は何でもありだから良くないって大物プロデューサーが話してた」と発言していたのを覚えている。

夢の話をつらつらと綴った今だからこそ、夢の話なんてしない方がいいと心から思う。

非リア大学生、恋リアをすすめられる。

 このブログを書いている人間は、大学生の傍ら塾講師もやっている。生徒と話をするのは楽しい。自分より5,6歳若い現役の中高生と絡むことで、忘れかけていた中高時代の思い出を思い出したり、今の中高生と当時の自分とのギャップに驚いたりするからだ。

 ある日の授業終わり、一人の中学生の生徒にあるネット番組をすすめられた。その番組の名前を聞いた瞬間に普段絶対に見ない類のものだと確信した。家に帰って詳細を調べてみると恋愛リアリティ番組だった。私はキラキラとした恋愛を主題とした映画・ドラマ等をとことん避けてきた。月9でやってた『失恋ショコラティエ』を同級生たちはみんな見て感想や意見の交換を活発に行っていた。見ていなかった自分は話についていけなかった。恋愛系のドラマを見るときの家族の目が気になって見れなかったのが大きな要因だろう。子どものころ印象に残っているドラマは『ごくせん』『ルーキーズ』『海猿』だ。仲間由紀恵佐藤隆太めっちゃ好き。

 そんな人間が恋リアをすすめられた。そして一人暮らしを始めたことで、恋愛系のコンテンツ見ることを阻害するものもなくなった。これは見るしかないとおもいアプリを起動して視聴を始めた、、、!

 

15分でギブアップした。

 

 登場するキャストのかた全員が陽キャ過ぎて怖かった。VTRをみて反応をするノンスタの井上さんだけが救いだった。自分が住んでいる次元とは異なるものに住んでいるのだろうと心からそう思った。「恋愛」というものをわかりやすくコンテンツにするために、キャストの心情や悩みを赤裸々に吐露する部分があるが、それが怖かった。

 『たりないふたり』も出演するお二人の普段思っていることを吐き出す番組ではあるが、私はそれが大好きでゲラゲラ笑わせてもらっている。この両者の違いはおそらく共感できるか否かだろう。たりふたの場合は自分も共感できる部分が多かったが、恋リアの場合は「贅沢なことで悩んでんなぁ………ッ!!」と思ってしまった。高校生相手に妬みむき出しにするのは塾講師としても気が引け、自分に嫌気もさした。何とかして克服したくもあるがそんな方法まるで思いつかない。

そして、今は恋リアを見るきっかけを与えてくれた中学生になんと感想を言おうかに頭を悩ませている。

たりない大学生#習慣がたりない

 先週はブログ書けなかった。完全な怠慢だ。なんで書かなかったのか自分でも不思議なくらいだ。私にはこのようなことが度々ある。

 高校生の夏休み、(それなりに)厳しい高校に通っていた私は、絶句するほどの、、、とは言えないくらいのそこそこの量の課題を出されていた。出された当日の私は、一日でできる限りの課題を限界までやった。そして、それに満足して課題提出の三日前までやらないというのが毎年のルーティンになっていた。「うさぎとかめ」でいうところのうさぎ型だ。いや、うさぎ型にしては寝ている時間が多すぎるからコアラ型と言った方がいいかもしれない。

 フランシス・ベーコンの言葉にこのようなものがある。

習慣がもっとも完全になるのは、若いころ身につけたものである。」

若いころというのがいつまでのことを指すのかは定かではないが、もしこの言葉が本当になのだとしたら、私はとっくに手遅れだ。コアラとして生きてきた期間があまりにも長すぎる。後の人生もおそらくユーカリ食べながら何かにしがみついて寝ているだけだ。せめてうさぎくらいにはなりたい。そんなことを思いながら大学の課題を先延ばしにしてこのブログを編集しているのでした。

たりない大学生#1内省がたりない

 4月9日夜、日本テレビ系列にて、日曜ドラマ『だが、情熱はある』の第一話が放送されました。本ドラマは同局のバラエティ番組である『たりないふたり-山里亮太若林正恭-』(以下、たりないふたり)と、それに出演する山里さんと若林さんが執筆した書籍が原作となっています。

 

 私はこのふたりの大がつくほどのファンです。『たりないふたり』はジョセフ・ジョースターのように次に何を言うかわかるくらいには何周も見ています。そして『完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込』に関しては好きすぎて友達の誕生日プレゼントに送ったほどで、あまり興味のなかった友人からはお返しにひきつった笑顔を頂きました。

 オードリーのオールナイトニッポンを聞き始めた高校一年生、ちょうどその時期に『たりないふたり』の存在も知り、沼にはまっていったのです。バスの中で耳にイヤホンをつっこんで、オールナイトニッポンを聞きながら単語帳をぼんやりと眺める。英語力の向上ではなく、春日を毎朝感じていました。そして家に帰って勉強の合間に『たりないふたり』を視聴する高校生活でした。

 

 そんな高校生も気がつけば大学生になっているではありませんか。第一志望の受験に失敗したが浪人する覚悟もなかったこの人は、比較的安全に入ることができた大学に入学。まわりの友人は彼女やら留学やらで充実していっても、バイト三昧の私には何か特別なことが起きるわけもありません。何がやりたいかと言われても何も思い浮かばない。流されるがままの人間でした。山里さんのように面白くなるために語彙を増やす努力をしたり、若林さんのように自分を内省することも出来ません。

 社交性も、行動力も、求心力も何もかもたりない。反省ノートをつけようとしても続かない典型的な三日坊主。そのくせ、「やればできる」「おれは他とは違う」という根拠のない自信だけは持っている。やらないくせにプライドだけは高い化け物が気づいたら誕生していました。

 

しかし『だが、情熱はある』を見て、そんな自分を変えたいと思えました。このドラマがオンエアされた翌朝までにはブログを書き上げる。これを1クール続ければ何者かになれずとも何かが得られる。そう思いこのサイトのアカウントを作りました。

「また三日坊主になるかもしれない。」そんな不安を抱きつつ、『だが、情熱はある』のオンエアを楽しみに待っています。

 

文章構成力も、語彙力も、ユーモアもたりない筆者ですが、よろしくお願いします。

だが、情熱はある|日本テレビ